小説の技法

「批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義」廣野由美子著 まとめ➀

・冒頭
・ストーリーとプロット
・語り手
・焦点化
・提示と叙述
・時間
・性格描写
・アイロニー
・声
・イメジャリー
・反復
・異化
・間テクスト性

・メタフィクション
・結末


冒頭 beginning

小節の冒頭部(beginning)とは、作者が自分の作品全体を見渡しつつ、最も苦労して書く部分である。

あらかじめ、数週間も数か月もかけて構想を練ったうえで、ようやく冒頭部を書き始めるという小説家も珍しくない。

作家は結末までプロットが出来上がったうえで、初めて執筆にとりかかるべき。
(エドガー・アラン・ポー、詩論『構成の原理』p.193)

読者にとって冒頭部とは、現実世界と虚構の世界とを分かつ「敷居」のようなものである
(デイヴィッド・ロッジ、『小説の技巧』pp.4-5)


ストーリーとプロット story / plot

「ストーリー」と「プロット」は、一般に粗筋というような意味合いで、ほぼ同義で用いられる傾向がある。

文学研究(ロシア・フォルマリズム(Russian Formalism)、構造主義(structuralism)、物語論(narratology)など)においては、この2つは厳密に区別される。

ストーリー(story / 仏:histoire / 露:fabula)とは、出来事を起こった「時間順」に並べた物語内容で、
プロット(plot / 仏:discours / 露:sjuzet)とは、物語が語られる順に出来事を再編成したものである。

プロットにおいては、出来事の時間的配列が組み替えられることによって、謎やサスペンス(suspense)が生じるという効果がある。

「〈王が死んで、それから女王が死んだ〉というのはストーリーで、〈王が死んで、悲しみのために女王が死んだ〉というのはプロットだ」
(E・M・フォースター、p.87)
⇔一番目の例でも、因果関係を探し当てようとする読者なら、女王が死んだ理由を推測して補うことが可能なはずだ
(リモン=キーナン、p.17)


語り手 narrator

語り手が物語世界の中に属する場合、「一人称の語り(first-person narrative) / 物語世界内的語り手(intradiegetic narrator)」、

語り手が物語世界の外に属する場合、「三人称の語り(third-person narrative) / 全知の語り手(omniscient narrator) / 物語世界外的語り手(extradiegetic narrator)」とよばれる。

大部分の小説では、一人称か三人称のいずれかの語りの形式がとられ、「二人称の語り(second-person narrative)(つねに「あなた」と呼びかける人物に向かって語りかける形式)」はごくまれで、
作品全体にわたって二人称形式がとられているのは20世紀後半の一部の実験的小説に限られる。

物語のなかに、さらに物語が埋め込まれているような形の物語形式を、「枠物語(frame narrative / 独:Rahmenerzahlung)」という。
物語が特定の固定された位置からではなく、複数の視点から眺められたものとなるため、自ずと、異なったものの見方や声が混在した小説となる。

手紙の形で書かれた小説は、「書簡体小説(epistolary novel)」と呼ばれる。
書簡体小説は、出来事が起きて間がない段階での緊迫した雰囲気を伝えたり、手紙の書き手の心理を克明に描いたりするうえで効果的な方法である。

読者は、語り手の描写や解説をとおして、小説世界の出来事や人物について知るが、そのさい語り手がどの程度信頼できるかという問題が生じる。
(事実に関する報告+判断(←語り手の価値観))
語り手の言葉が真理として受け止めるに足る権威を帯びている場合、「信頼できる語り手(reliable narrator)」、
語り手の言葉が読者の疑いを引き起こす場合、「信頼できない語り手(unreliable narrator)」と呼ばれる。
作品のなかにいる観念化された作者というべき存在を「含意された作者(implied author)」と呼ぶ
(ウェイン・ブース、『小説の修辞学』)

語り手が信頼できないとされる根拠の例:
・語り手が未熟なティーンエイジャーであるため、その表現力と理解力に限界がある
・語り手が知的障碍者であるため、その意識の流れが判然としない
・安っぽくて売れない物書き風のひどく気まぐれで滑稽な語り手
・思いこみの激しさによって歪んだ見方をする語り手
・犯罪者で道徳的欠陥のある語り手
・凡庸で理解力が乏しい語り手
・無意識の内に物語に深入りしている語り手
・悪意によって物語の流れを捻じ曲げている語り手

作者が「信頼できない語り手」を用いることによって、見せかけと現実とのギャップ、人間というものがいかに現実を歪めたり隠したりする存在であるかということが露わになる。


焦点化 focalization

語り手の立っている位置は、一般に「視点(point of view)」と呼ばれる。

①「視点」はもともと美術用語で、視覚的な意味に偏る傾向がある。
→実際は、語り手が語る内容は、見たことだけではなく、聞いたことや考えたこと、推測したことなど、さまざまな認識手段による多角的情報が含まれる。

②語っている人の位置と、眺めている人の位置が一致していると考える傾向がある。
→語り手が別の人が見たことを語るなど、一致しないこともありうる。

ジェラール・ジュネットやミーク・バーク、リモン=キーナンといった物語論者たちは、誰が語っているかという問題と、誰が見ているかという問題を区別し、
「見る」という行為を「焦点化(focalization)」という概念で規定し、見ている主体を「焦点人物(focalizer)」と名付けた。

焦点化とは、知覚・心理・思考・記憶等を含め、焦点人物によって捉えられた多面的現象を映し出す方法である。
(ジェラール・ジュネット, p.189; Rimmon-Kenan, p.71; バーク, pp.142-149)

次に問題になるのは、焦点人物のいる位置はどこかということである。

焦点人物が物語の外側にいる場合を「外的焦点化(external focalization)」、
焦点人物が物語の内側にいる場合を「内的焦点化(internal focalization)」という。

「全治の語り手」の声で語られていても、つねに外的焦点化が起こっているとは限らず、内的焦点化の方法で語られている場合も珍しくない。

内的焦点化には、焦点人物が特定されているか、あるいは変化するかという点から、大きく3つに分けられている。

①「固定内的焦点化(fixed internal focalization)」…焦点人物が固定されている場合
②「不定内的焦点化(variable internal focalization)」…焦点人物が変わってゆく場合
③「多元内的焦点化(multiple internal focalization)」…同じ出来事が複数の焦点人物によって語られる場合


提示と叙述 showing/telling

語り手が出来事や登場人物について語る際には、大きく分けて「提示(showing)」と「叙述(telling)」の2つに分類される
(ウェイン・ブース『小説の技法』)。

「提示」:語り手が介入して説明したりせず、黙ってあるがまま示すことである。
例:登場人物の会話がそのまま記録報告されている部分→語りの内容がそのまま出来事を示している

「叙述」:語り手が全面に出てきて、出来事や状況、人物の言動や心理、動機などについて読者に開設している
例:語り手による要約→語り手の言葉の簡潔さや抽象性によって、出来事や人物の特殊性は減じる

フロベールやヘンリー・ジェイムズ以降の現代小説では、提示の方法が重視され、作者が姿を消した作品を、より純粋な芸術作品とする傾向もあったが、

1960年代以降のポストモダニズム(postmodernism)の作品などでは、故意に語り手が物語に介入して叙述する方法により、特殊な効果をねらうものもある。

しかし、「提示」と「叙述」に優劣はない。両方とも小説の語りに欠かせないものであり、その絶妙な組み合わせにより成り立つべきものである。


時間 time

ストーリーにおける出来事の順序とプロットにおける出来事の順序が合致しない場合を「アナクロニー(anachrony)」と呼ぶ
(ジェネット)。

アナクロニーは基本的には「後説法(analepsis)」と「先説法(prolepsis)」の2つの方法に区分される。

「後説法」:出来事の継起を語っている途中で過去の出来事や場面に移行する方法。「フラッシュバック(flashback)」ともよばれる。

「先説法」:まだ生じていない出来事を予知的に示す方法。「フラッシュフォワード(flashforward)」ともよばれる。

未来に起きる出来事をあらかじめちらりとほのめかす「伏線」も先説法の一種である。

すでにある程度進行している物語の途中から語り始める方法を「イン・メディアス・レース(in medias res)」という。

3人称の語りの場合、全治の語り手が出来事の間を行き来しながら、時間を自由に操ることができる。
1人称の語りの場合、語り手や登場人物の回想や手記、手紙などを用いることによって時間を移動させる。

語りの現在と物語世界の過去は、整然と隔てられているわけではなく、2つの時間体系は時として複雑に絡み合う。

過去の出来事を回想しながら、時折現時点における想いを、語りの中に織り交ぜる。

作品のなかの時間を特定する材料となる具体的情報を「時間標識(time-marker)」という。

それらを用いて逆算することによって、物語が展開されている年代、登場人物の年齢などがわかることもある。

物語はさまざまな速度(tempo)で語られる。

ジェネットは、速度の主要な形式として、「省略法(ellipsis)」、「要約法(summary)」、「情景法(scene)」、「休止法(pause)」の4つを挙げている。

「省略法」:ある期間を省略して、一気に飛び越える方法。
省略された時間が指示される場合→「限定的省略法」、
特に指示のない場合→「非限定的省略法」

「要約法」:長時間にわたる生活を、行動や会話などの詳細を抜きにして、短い文章に要約する方法。
この形式がとられている箇所では、速度が速められる。

「情景法」:物語の場面が劇的に提示され、理論上、物語内容の時間と物語言説の時間が等しい場合。

「休止法」:語り手が物語の流れを中断させ、その時点では登場人物が誰も見ていない光景や情報を示すやり方。
この方法が用いられる際、速度はゼロである。


性格描写 character

「キャラクター(character)」は、文学作品の登場人物のこと、さらには登場人物の特性や行動様式(=「性格」)のことを指す。

小説を構想する際は、プロットよりも登場人物のほうを優先すべきで、プロットは人物を描くための媒体にすぎない
(トロロープ、『自叙伝』)

“小説を書くときには、ストーリーを語らなくても性格を提示することができるかもしれないが、性格を示さずにストーリーをうまく語ることは不可能だ”
(ウィルキー・コリンズ、『白衣の女』序文)

小説家はキャラクターを想像したいという強い衝動に捕らえられて、小説を書き始める。
(ヴァージニア・ウルフ(人間を事物から切り離して描こうとした20世紀の「意識の流れ(stream of conscience)」の作家の1人)、評論『ベネット氏とブラウン夫人』)

登場人物の分析:

・E・M・フォスターによる「平板な人物(flat character)」と「立体的な人物(round character)」という概念による登場人物の分類

・フールディングによる人物の類型化

・会話によって性格を描き分けるジェイン・オースティンの方法

・平板な人物に強烈な生命観を与えるディケンズの方法

・ジョージ・エリオットによる人物の鋭い人物分析


アイロニー irony

一般的な意味で、「アイロニー(irony)」とは、見かけと現実との相違が認識されること、また、そこから生じてくる皮肉のことをいう。

アイロニーは、言葉や状況、構造など、さまざまなレベルで機能する。

「言葉のアイロニー(verbal irony)」:
表面上述べられていることとは違う意味を読み取らせようとする修辞的表現。
※隠喩や直喩などの他の修辞方法とは異なり、言語形態からは見分けられず、解釈を通してのみ認識される

「状況のアイロニー(situational irony)」:
意図されたり予想されたりしていることと、実際に起きていることとの間に、相違がある場合。
ある状況に関する事実と、その状況についての登場人物の認識とが一致していないことに、観客・読者が気づく場合に生じるアイロニーを、特に「劇的なアイロニー(dramatic irony)」と呼ぶ。

あらゆる小説は本質的に、見かけの裏に潜む現実の発見を描くものであるから、この文字形式の至るところにアイロニーが染み渡っているのは、当然であるとも言えよう
(ディビッド・ロッジ, p.179)。


声 voice

「モノローグ的(monologic)」:作者の単一の意識と視点によって統一されている状態

「ポリフォリー的(polyphonic)」あるいは「対話的(dialogic)」:多様な考えを示す複数の意識や声が、それぞれの独自性を保ったまま互いに衝突する状態

(ミハイル・バフチン)

アイロニーを産みうる


イメジャリー imagery

ある要素が、想像力を刺激し、視覚的情報などのイメージ(心像)を換気する作用、あるいは、そのイメージの集合体を「イメジャリー(imergery)」と呼ぶ。

さまざまなイメジャリー:

「メタファー(metaphor)」:あることを示すために、別のものを示し、それらの間にある共通性を暗示する

「象徴(symbol)」:特に類似性のないものを示して、連想されるものを暗示する

「アレゴリー(allegory)」:具体的なものを通して、ある抽象的な概念を暗示し、教訓的な含みを持たせる

例:「森」というイメジャリー
「風車の森」:風車群を「森」にたとえて言っている(=メタファー)
寓話の中の「森」:物語とは別の意味体系(=アレゴリー)の中で、「迷い・過ち」を表す
文明からの逃避としての「森」:「自由」「夢」「再生」「調和」「回帰」など多重の意味合いを帯びた象徴


反復 repetition

「反復(repetition)」は文学の重要な修辞表現のひとつである。

反復する要素:

・頭韻や脚韻のように音(韻律)である場合

・リフレインや前辞反復のように語句(文法構造)である場合

物語のなかで反復される要素には、筋や出来事、場面、状況、人物、イメージ、言葉など多岐にわたる。


異化 defamiliarization

普段見慣れた事物から、その日常性を剥ぎ取り、新たな光を当てることを「異化(defamiliarization)」と呼ぶ。
そのために、ある要素や属性を強調し、読者の注意を引きつけるように際立たせる方法を「前景化(foregrounding)」という。

習慣化によって蝕まれてしまった生を、このような方法(異化)で回復することこそ、芸術の目的である。
(ヴィクトル・シクロフスキー(ロシア・フォルマリズム))


間テクスト性 intertextuality

文学テクストとは、つねに先行する文学テクストから、何らかの影響を受けているものである。
つまり、文学テクストは孤立して存在するものではなく、他の文学テクストとの間に関連がある。
この関連性を「間テクスト性(intertextuality)」とよぶ。他の文学作品や生産物の影響や作品からの引用を指す。

あらゆるテクストは他のテクストを吸収し変形したもの
(ジュリア・クリステヴァ)


メタフィクション metafiction

語り手が語りの前面に現れて、読者に向かって「語り」自体についての口上を述べるような小説を「メタフィクション(metafiction)」と呼ぶ。

語り手がこのような態度を示すと、その作品が作り物に過ぎないことが露わになるが、そういう状況が意識的・意図的に作り出される場合が多い。


結末 ending

小説の終結の仕方には大きく2種類ある。

「閉じられた終わり(closed-ending)」:はっきりとした解決に至って終結する方法
・「ハッピー・エンド(happy ending)」:主人公の結婚など幸福な状態で締め括られる
・「悲劇的な結末(tragic ending)」:主人公の死や破局など悲劇的に終わる
・「意外な結末(surprise ending)」:読者の意表を衝く

「開かれた終わり(open-ending)」:はっきりとした解決なしに終わり、結末について多様な解釈が可能である
・「二重の結末(double ending)」:2通りの解釈の可能性を含んでいる
・「多重の結末(multiple ending)」
・結末が冒頭部へとつながり円環をなすような形のもの

いんきゃの方法の話

どっかに住んでるいんきゃが 陰気臭く書く 見る価値のないブログ

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